#5 映画「きみの色」感想
1. はじめに
こんにちは。先日、劇場で「きみの色」というアニメーション作品を観てきました。
今回はその感想文を書いてみたいと思います。
ごくごく私的な解釈を書き綴っただけですが、
作品の内容把握や一解釈として読む分にはいいかもしれません。
よろしくお願いします。
2. あらすじ(ネタバレなし)
キリスト教系女子高校に通う主人公とつ子には幼い頃から人間がもつ「色」を視ることが出来る才能がある。しかし、長い間自分の色はわからずに悩んでいた。ある時、校内で美しい青色をもつ同級生きみに出会うが、彼女は突然退学してしまう。古書店で店番をしつつギターを弾くきみと再会したとつ子は、その場に居合わせた音楽好き・医学部志望のるいと三人でバンドを組むことを唐突に提案する。やがて三人は音楽という表現を通じて、各々の苦悩に向き合っていくことになる。とつ子は自身の「いろ」を見出すことが出来るのか。「けいおん」「聲の形」「平家物語」を手掛けた山田尚子監督の最新劇場アニメーション作品。
3. 感想(ネタバレあり)
どんな作品だったかを一言で言うと、「3人の高校生が音楽を通じて成長する話」と言い表せるでしょうか。
①登場人物とストーリー
主な登場人物は3人いまして、主人公の高校3年生のとつ子、その同級生きみちゃん、医学部志望のるい君です。
三人はとつ子の唐突な提案によりスリーピースバンドを組むことになります。
それぞれとつ子:鍵盤、きみちゃん:エレキギター、るい:シンセサイザー・テルミン・バンドマスター(?)を担当します。
三人はるい君が住む離島の古い教会で演奏の練習を重ね、
それぞれがオリジナル曲を作ろうと話が進みます。
最終盤でとつ子の高校の聖バレンタイン祭(文化祭?)のステージでオリジナル曲を披露し、
映画が終わる、というのがざっくりとした流れです。
三人が出会ってから、音楽を作り、一緒に演奏する過程の中で、
それぞれが抱えていた悩みや葛藤を乗り越えて、成長していく過程がこの作品では描かれています。
②登場人物たちの悩み
三人は何に悩んでいたのか?
それぞれをの悩みを以下のように解釈しました。
とつ子の悩みは個性を色としてとらえることが出来るような能力があるのに、自分の色だけが分からない事。
(つまり自分の個性がつかみ切れていない。冒頭では教会で「ありのままを受け入れること」と、祈っていた)
きみちゃんの悩みは本当は自分が周囲が期待するような良い子ではないのに、そのように扱われることへの後ろめたさ
(自己と他者の評価のギャップから生じる葛藤. みんなはそう言ってくれるけど、本当は全然そんなじゃない、というもの)
るい君の悩みは受験勉強の時期に音楽をする後ろめたさ。
(彼は親に医学部進学を期待されており、本当は好きな事よりも勉強を優先しないといけないと考えていると推測)
③印象に残った事
・映画の最終盤、文化祭ステージの演奏シーン
3人が選んできた衣装を身を包んで、オリジナルの3曲を演奏しました。
このシーンで言えることは曲!全部全部良い!ということですね。
目も耳も釘付けになり、観終わった後はバンドやりてぇ!って気になりました笑
セットリスト
1. 反省文~善きもの美しきもの真実なるもの~
(作中におけるきみちゃん担当曲; 作詞: 山田尚子; 作曲・編曲: 牛尾憲輔)
2. あるく
(作中におけるるい君担当曲; 作詞: 山田尚子; 作曲・編曲: 牛尾憲輔)
3. 水金地火木土天アーメン
(作中におけるとつ子の担当曲作詞: 山田尚子; 作曲・編曲: 牛尾憲輔)
それぞれ3人の内面が音楽で表現されているようです。
例えば、きみちゃんが作詞作曲した「反省文~善きもの美しきもの真実なるもの~」はとつ子がきみちゃんを寮に泊まらせていた件で書かされていた「反省文」という単語がそのまま歌で使われています。
他にも「まるで迷える子羊みたいだ 光をもとめて反省文」「希望と期待」「あいまいな境界のない」などの文言が歌詞にあります。
実際に書かされていた反省文は、同居する祖母に退学を言い出せず、修学旅行期間中にとつ子の部屋に滞在していた事に対してでした。
歌の「反省文」は単なる寮則違反に対してだけでなく、勝手に退学し、祖母の期待を裏切るようで言い出せずに嘘をついていた事に対しても歌ってるのかなと思いました。
(それは優しい嘘であるということ、音楽で表現したらどうか、とシスターが助言をしていましたし、祖母を文化祭のステージに招待していたので。)
(ていうか高校って親に知らされることなく辞めれるんですね。)
全編にわたって鳴る歪んだエレキギターのバッキングがきみちゃんの透き通った声と上手くマッチしてるなと感じました。厚めに鳴る裏拍のビートが心地よいです。
るいくんが作詞作曲した「あるく」では灯(あかり)や水、波といった単語が含まれ、
離島に暮らす彼らしい言葉選びだと思いました。
(歌詞が抽象的で解釈がむずい!)
そういえば、映画を観た方はわかると思うのですが、るい君が手を上下に動かして鳴らしている楽器は「テルミン」という垂直・水平方向に延びたアンテナと手の距離で音高と音量をコントロールして音を出す世界初の電子楽器だそうです。
ご興味があればwikiへどうぞ。
とつ子が作詞作曲した「水金地火木土天アーメン」はきみちゃんとるい君との出会いが歌になったようです。
これが文化祭ステージ最後の曲で、ここまでがバラードだったため穏やかな静寂に包まれていた体育館に8ビートのハイハットが刻まれ、そこにるい君のシンセが乗り、何が始まるんだという期待感がありました。
きみちゃん「水・金・地火木・土天アーメン♪」
最初聴いたときそれ曲になったんか!と心の中でツッコミました。
というのも、三人で作曲しようという話になった時に、とつ子が水金地火木土天アーメンとブツブツ言っていて、あまりにも素っ頓狂なワード過ぎて本当に曲になるとは思ってませんでした笑
そんなことより!この曲!アップテンポでノリが良い!
トレモロとコーラスのエフェクトが印象的なギターリフ、支配的に鳴る多彩なシンセサイザー、ノリたくなるような強弱の効いたビート、きみちゃんととつ子のダブルボーカル、耳にいつまでも残るようなリリックとリフが頭の中でリフレインしています。。。
ホントいい曲です。聴きながら書いています。
「”きみ”の色が脳天をぶち抜いた」
「このまま二人で宇宙の果てまで」
「とつぜん現れたルイ線」
「こいつは絶対三体問題」
歌詞には二人との出会いを意味する言葉が並び、ステージの最後の曲としても、
映画のラストとしてスゲーいいなぁと集中して見入って聴きました。
(きみちゃんととつ子のユニゾンパートがめっちゃ良い。。。)
相対性理論の「パラレルワールド」っぽい良いギターリフだなとうっすらと感じたんですが、そのギタリストである永井聖一さんが演奏協力されていたとinstagramで拝見しました。なるほど、なるほど。
・作画
個人的に、山田監督の作品では精緻かつ色鮮やかに描かれた風景が描かれるといった特徴があると思っています。
今作でもふんだんに見受けられたように感じました。
例えば、とつ子の寮部屋。
何と表現したらいいのか難しいのですが、女の子の部屋をキレカワ(綺麗かつ可愛い)に描くのすごい上手い。。。
そしてそこに微妙に生活感を感じるからすごいのですよね。
「聲の形」の西宮家は生活感強めだったので、その辺の塩梅がすごく上手いということなんでしょうか🧐
(絵はわかりませんが)
あと、繊細に描かれた植物が多く出てくるのも山田監督の特徴かな?という気がしました。
「きみの色」ではミモザ、金木犀などが出てきましたし、中庭の草木もカットとしては短いはずなのに一本一本描いている事にこだわりを感じました。
あと、ギャグみたいなリアクションも面白かったですね。
きみちゃんがバンドをやりたいと言ったことに対するとつ子の表情変化が、たまこまーけっとやけいおんで目にしたようなギャグのオーバーリアクションみたいでとても可愛かったです。
・ ラストシーンと主題歌
本編ラストは文化祭を終えた後、とつ子が色とりどりの草花が咲く寮の中庭でまるで自由にバレエを踊るシーンでした。
太陽に手をかざしたときに、ふとその手に自身の色を見つけ、悩みを抱えたまま、二人と音楽を楽しみ、自分らしく振る舞っていたらふと、あ、こんな目の前にあったんだという風に描かれていた気がして、とても印象に残っています。
そんなラストシーンの後に、余韻に包まれながら主題歌「in the pocket」を聴きました。
感想としては、本当に映画にぴったしな主題歌だなと感じました。
映画の内容を踏まえた歌詞も明るい曲調も、リズムも何もかも。
歌詞は主にとつ子の事を書いています。
「in the pocket」自体は7月に参加したミスチルのライブで初めて聴きました。
「きみの色」抜きに、初めて聴いた時の感想としては全編にわたって単調なドラムが鳴り、エレキピアノの音色とメロディが良く、
歌詞も前向きで、明るい曲という印象でした。
なんだかこういう明るい曲がミスチルが新曲で出すのは久しぶりの感じがして、
個人的には「君のいろ」を観る前から結構好きでした。
(8/30のリリースが待ち遠しかった)
で、映画を観てから聴くと、全く受け取り方が変わりましたね笑
ましてや桜井さんが脚本を観て曲を作り、さらに「きみの色」音楽監督の牛尾憲輔さんと共同編曲されていたとは。。。
in the pocket (Mr.Childrenの曲) - Wikipedia
牛尾憲輔さんは「聲の形」の音楽監督もされていたので知っていて、
「lit(var)」「frc」など一瞬で場面をフラッシュバックするような印象的な音楽がすごく好きです。
(特に「frc」に感じる不穏な気配はそのシーンと併せて聴くとすごいです)
「in the pocket」では聲の形のサントラを聴いたミスチルの面々のオファーにより鍵盤を担当され(!)、イントロにとつ子の通う高校のチャイムが採用されたのも牛尾さんのアイデアだったのですね。
イントロでチャイムの音を聴くと、劇場でエンドロールを観ていた時の自分に一瞬で戻れるような感じがします。
歌詞はまんまなので触れるまでもないのですが、とつ子がきみちゃんとるい君が出会ってから、ラストまでのすべてが詰まってると思います。
個人的には爽やかな風が吹き抜けていくようなサビがとても好きです。
(ていうかもしかして「in the pocket」のジャケット、ラストシーンのとつ子まんまじゃないですか??)
今作はアーティストとしてのMr.Childrenというよりも、映画音楽作家色の強い曲なのかと思いました。
今後、この曲を聴くたびにこの作品を思い出すことが出来そうです。
in the pocket - Single - Mr.Childrenのアルバム - Apple Music
④「きみの色」を観た理由
最後にこの作品を観た理由について書いて終わりにします。
二つありまして、まず山田尚子監督作品であること、そして主題歌がミスチルであるためです!(ごくごく私的な理由です)
山田尚子さんは「映画けいおん!」、「たまこラブストーリー」、「聲の形」などで知られるアニメーション監督です。
2004年に京都アニメーションにアニメーターとして入社された後、初監督作品「けいおん!」をはじめとする数々の作品に携わり、多数の賞も受賞されています。
(現在はフリーランスだとのことです. 「きみの色」の制作はサイエンスSaru. )
どこで知ったのか、という事ですが、中高生の時にハマっていた「けいおん」で知りました。
ほのぼのとした日常、絵の世界観、劇中歌がすごく気に入っていて、学校から帰ってニコニコ動画で文化祭のライブシーンを何度も観てました。
制作サイドについて無知なままアニメを観ていましたが、確か、「映画けいおん!」の制作ドキュメントで初めて山田監督を知りました。
自分と一回り離れていないんじゃないかというくらい明らかに若くて少し驚いたのと、けいおんの印象的なEDアニメーションの絵コンテを書いている様子が印象に残りました。
以降、京アニ作品のクレジットを何となく意識するようになりました。
また、「たまこマーケット」「聲の形」など山田監督の京アニ作品が好きな事に気が付きました。
(聲の形はBlu-ray disc・設定資料集・原作所持, 劇場で3回見ました。。。)
これまでは作品を観てから山田監督だったんだ!と気づくことが多かったのですが、今回は監督作品だからという普段とは逆方向からの興味で「きみの色」を観てみよう、となりました。
また、当方、F&M13年目に突入するミスチルファンです。
多くの人に共感してもらえるかと思うんですが、映画館の暗がりの中、エンドロールをぼんやり追いつつ物語を回想する、
10分間にも満たない刹那的で充足した余韻に浸りながら、その映画の主題歌を聴く時間が好きです。
先日、ミスチルのライブで主題歌「in the pocket」の生演奏聴いてきまして、最近のミスチルにしては珍しい曲調で、思わず作品と併せて聴きたいなと思いました。
帰ってからタイアップ作品をチェックすると、なんと山田監督作品ではないか!
好きな映画監督×好きなアーティストという俺得でしかないこの作品、観にいくしかないと思いましたね。
あと、思いもよらぬところで好きなもの同士がかけ合わさるとすごく嬉しくて、幸せだなぁと感じました。
おわりに
書きたいことが沢山あって映画を観てから結構時間たってしまいましたが、何とか書ききれました。
書きながら、もう一度「きみの色」を観にいきたくなりましたね。ではまた。
#4 "傲慢と善良" 辻村美月 読書感想文
はじめに
こんにちは。
積読していた辻村美月さん”傲慢と善良”を読みました。
八月も終わりですし、小学生ぶりに読書感想文を書いてみたいと思います。
あらすじ
主人公西澤架の婚約者坂庭真美は数か月後に迫る結婚式前に失踪してしまう。架は彼女が失踪直前に話していたストーカー被害を手掛かりに犯人の特定と真美の捜索を行う。真美の両親と姉、架の友人たち、結婚相談所のオーナーなどそれぞれの立場から語られ、暴かれていく人間の傲慢さと善良さ。やがて浮かび上がってくる失踪の事実とは。自身に問いかけながら読まずにはいられない現代の人間の生きづらさに迫る話題作。
(193字)
読書感想文
私がこの本を選んだきっかけは話題性です。Xで見かけた「辻村美月さんの傲慢と善良がここ最近で一番衝撃的だった」というポストや、帯の「人生で一番刺さった小説との声続出」を目にして興味を持ちました。
物語を一言で言い表すと、主人公の西澤架が少ない手がかりを元に失踪した婚約者の坂庭真美を捜索するという話です。真美の家族や、婚活中に出会った人たち、架の友人たちから話をきく中で、真美がどのような状況に置かれていたのかが明らかになっていきます。また、その過程で架は登場人物たちに潜む善良さと傲慢さに気づき、読み手にも身に覚えのあるような言動や生きづらさが描かれていました。
印象に残ったことは「男は結婚を漠然と捉えすぎている」という部分です。女性は若いうちから将来を考え、行動し、結婚していくものの、男性はいつかするものくらいに捉えていると架がその傲慢さ気づくシーンがあり、とても耳が痛くなりました。当然と言えば当然なのですが、婚活はルックスや好きという感情だけでなく、様々な事情を考慮し、進めていく必要があるようです。例えば、主観・客観的に許容可能なステータスであるか、人間関係を構築していく労力、女性であれば自身の生物学的な時間制限(妊娠・出産)、恋愛・婚活市場における自身の需要などです。そして時には目の前に現れた相手をみて、理想と現実の違いを知り、「そういうものだよね」と認めること、いわゆる妥協も必要なのだと、ラストシーンを読んで思いました。私も恋愛ではなく、婚活を考える年齢に差し掛かっているため、参考にしていきたいです。
また、善良さという表現も印象に残りました。これまで人が良いであるとか、素直さという言葉で曖昧に理解していた人間の性格特性を表す良い表現だと感じました。善良さとはつまり、悪気のない素直さと鈍感さと言い換えられるように思えます。今後、心の中で人を評する際に使っていきたいと思いました。
総じて、ハっとさせられたり、何となく言語化できないでいたことを文章に落とし込んだリアルでグロテスクな作品だと感じた一方で、生きづらくなる人もいるだろうなと思いました。
(894字)
参考
【読書感想文の書き方】小学生が簡単にできる5ステップ〜例文あり〜|マミーウェブ (iaki1121.com)
善良さと素直さ
ところで、自分がこれまで出会ってきた人たちの中に同じ種類の”素直さ”を感じる人たちがいました。
その人たちにはこんな特徴があるように思います。
・先生や上司など立場が上の人の助言によく従う。
・マイペースで競争意識を感じない。
・当たり障りがなかったり、綺麗ごとのような発言が多い。
・能動的で、自己主張が少なめ。
・他人を疑わない。
・冗談が通じないことがある。
一言でいうと”自己主張がない大人しい人”と言い変えられるでしょうか。
私は普段から人がどうしてそのような性格なのかを考察することがあって、
こうした人たちの事をこんな風に想像していました。
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幼児期から家族を始めとする良識的な大人たちが身近に多くいた。
大人たちが示した”悪い方向には向かわない選択”に従って生きてきた。
リスクの小さな、いわゆる”ちゃんと”した選択なので、失敗することも少ない。
従うことで親も喜ぶし、失敗もなければ不満も抱かないので、そのサイクルが繰り返され、やがて素直な人間性が育つ。いわゆるいい子になる。
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”傲慢と善良”の中ではこうした人間性を”善良”と表現し、真美がそれをを備えた人間
として描かれています。
自分の中で何となく想像していた仮説でしかなかったのですが、それがどのように形成されていくかが解像度よく描かれており、なんだか仮説が裏付けられたような感覚になりました。
また、善良の傾向の強い人間に微妙な気持ち(イライラ・もどかしい)になったことがあります。
明らかに相手に非のある状況であったとしても、なぜ相手を悪者にしないのか?と。
これは不満を感じ、怒る必要に迫られた経験がないから、何が怒る程の事なのかピンときていないというのが理由ではないかと考えています。
作品内でも、悪人ではないものの、物語の構成上非善良的な人物として描かれていた女友達と真美の姉が、真美にイライラすると話していますが、なぜ善良な人間にイライラするのでしょうか?
私なりの考察は、
何かの話題、誰かの冗談や意見を耳にしても、話が通じないからではないからではないかと思います。
作品内の文言も借りつつ表現すると、人にもまれて、生きていく上で必要に迫られて身につけてきた多くの人が共通して有する常識、感覚や知識が、理解する上での前提として欠けているから、何が面白いのか、何が問題なのかが、わからない。
つまり、いちいち話が通じないし、何を綺麗ごとばかり言っているのかと感じ、
イライラする、みたいなことなのではないでしょうか。
(真美が外国人のジェニファーと仲良いのもそれが理由かも。文化が違えば上記はお互いに理解できないから話題に上がらず、表面的で綺麗なコミュニケーションしか生まれないため。)
おわりに
自身の常識を信じ、周囲の物事を素直に受け入れる鈍感さと、自身を含めるあらゆる事を言語化し、時に疑い、気づく敏感さ。
こうした違いはきっと打算とか要領の良さを必要としない環境で育ってきたかということと、
どういう人間でありたいかだけなのだと思います。
色々書きましたが、優劣の話でも、決めつけたいわけでもありません。潜む法則に迫る考察がしたいのです。
善良に偏った内容になりましたが、今回はここまで。
ではまた。
#3 投稿論文の話
はじめに
こんにちは。超久しぶりの更新になります。最終更新は2年前だそうです。
改めまして、私ヒトデマンは大学院生です。
専門はバイオで、現在後期課程3年(D3)になります
2記事書いてその後、習慣化することなく途切れてしまいました。
その後、何か忙しいことがあったのでしょうね、恐らく。
少し期間が空いたので、記事のネタにできそうなことが沢山ありました。それらは思い出しながらちょこちょこ書いていくとして、今回は投稿中の論文とその際に起きたボスとのバトルについて書いてみます。
投稿論文について
詳細は省きますが、投稿中の論文は修士1年から取り組んでいる内容になります。
当時の研究プロジェクトで使用予定のin vitroアッセイ系を構築したという話で、それ自体の新規性はあまりなく、そのアッセイ結果とin vivoに掘り下げることで新規性を付け足す予定でした。
この成分に何かありそうだ、という結果がまとまってきたのが修士2年の終わりごろでした。しかし、そのタイミングでちょうどプロジェクトが終了してしまい、そのアッセイ系は宙ぶらりんの状態になっていました。
D1の頃に分子マーカーの解析を行い、現プロジェクトになってからはシングルセル解析
を追加して新規性を追加し、ようやく投稿にこぎつけました。
以上が投稿に至るまでの大筋の流れで、いくつか印象に残った出来事がありました。
共著者をめぐるボスとのバトル
第二著者に後輩を加えるか否かでボスとバトルをしました。
あまり議論と言えるものではなく、どちらかと泥臭く食い下がったような印象です。
当時、新しく入ってきた後輩が「将来はアカデミアで研究がしたい」と言っていました。明るくおしゃべりな女の後輩で、考え方も研究者に向いてそうだなと思い、、最近は女性限定公募(逆差別では、、、?)と銘打って堂々と募集しているので、キチンと抑えるところを抑えればいい線いくのでは?と感じていました。
そこで、今準備中の論文の共著者に加えることが出来ないか?と画策しました。
所属ラボでは共著者のラインが厳しく、"偶然似たテーマの先輩がおり、ボスからその手伝いをさせてもらう指示が来る"以外に共著者の論文をもつチャンスはありません。
そうなると修士の内に共著の論文を一報ももつことが出来ず、また学会発表もさせてもらえないため、学振やフェローシップ申請において思うように業績的が積めません。
所属ラボはこれまでアカデミアに残った人は皆無で(直近13年では聞く限り1人)、また学振に通った人はおらず、
色々事情があるとは思いますが、業績を積めないことがその理由の一つだと考えていました。
ボスは学生のキャリアにあまり理解がないため、どう話しても思うように話しが進むとは思えませんでした。なので、ボスを通さず後輩に実験を手伝ってもらうことにしました。
つまり、”実験を手伝ってもらった”という事実を作ってしまえば、共著者に乗せざるを得ないという状況になるだろうという算段です。
これは後々もめることは百も承知で、であってもそのくらいの労力を費やさなければこれまでの傾向を覆せないと思いました(謎の正義感というか、信念というか、、、)。
投稿論文の原稿が上がってきた段階で共著者に後輩のを追加するように直談判をしにいきました。
その手伝ってもらったパートが果たして論文の貢献になりうるかを話し、「何がしたいの?」とか何とかいわれながら粘り、”投稿後にしてもいいことを前もってやってもらった”と主張して、後輩を第二著者に加えることに成功しました。
やはり、実験を手伝ってもらったという既成事実が大きかったようです(目論見通り)。
話しの中で、「オーサーの順に口を出すのはありえん」と言われましたが、一般的にどうなんでしょう?第一著者であればある程度は許されるのではないかと思ったのですが、、、。
おわりに
こういう学生いたら嫌だなぁと思うと同時に、本人の話を聞く限りボスもこういう事するタイプの学生だったようなので(ボスを通さず論文を書いて、モメたと話していた)、許してねって思いました。おしまい。
#2 "酒とバラの日々(Days of Wine and Roses)" 視聴感想文
先日、”酒とバラの日々”という映画を観まして、
今回はその感想をつらつらと書きたいと思います。
”酒とバラの日々(Days of Wine and Roses)”
1962年 米
監督:ブレイク エドワーズ
脚本:J・P・ミラー
主演:ジャック レモン / リー レミック
音楽:ヘンリー マンシーニ
この映画を観た個人的背景はですね、
音楽がヘンリー マンシーニ氏が手掛けたものであったからです。
正直それ以外の事前情報はまったく知らず、
タイトルから何となく酒と女を愛するダンディな男の物語かな、、、?
くらいにしか思ってませんでした。
(何なら白黒映画なのもりませんでした)
私の推しのアーティストがヘンリー マンシーニ氏の音楽が好きで、
カバーをしていたり、しばしば名前が出てくるので興味を持ち、
彼が音楽を手掛けた映画を観てみようとなりました。
で、観た感想を一言で述べると、
哀しい(重め)。。。
これに尽きますね。
ざっくりと映画の概要を書くと
"酒によって男女の人生が狂っていく"という話でした。
以下映画の大筋と感想(ネタバレ注意)
広告店につとめるジョー(主人公)が、取引先のパーティーで偶然出会ったハーステンと恋に落ちます。
白黒なのですが、二人の表情と海辺の景色がステキな恋が始まりを予感させてくれました。
その後、ハーステンの父親にジョーを紹介するために実家に行きますが、
”好きになるのに時間がかかりそうだ”
と言われてしまいます。
連れてきた結婚相手を家族が気に入ってくれないというのはよくありそうな展開で、それでも二人はめげずにいたと思います。
やがて子供が生まれ、ハーステンは子育てに追われるようになりました。
また、ジョーは仕事の不満をハーステンにぶつけるようになります。
出会った当時、ハーステンは酒を全く飲みませんでした。この頃から二人で頻繁に酒を飲むようになり、ジョーに隠れて自ら酒を飲むようになります。
この辺から明らかに不穏な空気を感じました。
やがてジョーは二日酔いを仕事場に持ち込むようになります。
4年で5回も仕事をクビになり、
そこでようやく自分たちがアルコール中毒に陥っていることに気が付きました。
この辺の描写が面白かったです。ふとショーウィンドウに映った自分の姿を観たジョーの乱れた髪ややつれた顔がアップで映ります。
また部屋を見回しても物が少なく、ハーステンに浮浪者だ!というのです。
確かに序盤ではジョーの髪はまとまっていたし、ハーステンの白黒ながら金髪もつやがあってきれいだと思いました。
結婚前のハーステンのアパートには色々なものが飾ってありましたが、
この頃の部屋の棚はスカスカでした。
クビになったジョーは酒を断ちつつ、
ハーステンの父がしている園芸の仕事を手伝うようになりますが、
こっそり部屋に持ち込んだ酒を二人でのんだり、
こっそりと植木鉢の中に隠した酒が見つからず、
商品の植木を大量破壊するなどして大暴れしてしまいます。
この描写はアルコール中毒は理性を崩壊させ、
人間を狂気に走らせる恐ろしさを語っていました。
ジョーはその後アルコール中毒の更生会に通うようになり、
会の助けもあって断酒に成功します。
一方、ハーステンは自分がアルコール中毒だと認めず、
一緒に飲んでくれないジョーに不満を持ち家出をしてしまいます。
モーテルから電話を受け、彼女を迎えに行きますが、
断り切れずに再び飲酒をしてしまいます。
モーテルでのやりとりが映画を通じて一番悲しかったです。
ジョーはハーステンから酒を勧められても断り、
説得を諦めて部屋を出ていこうとするのですが、
その背姿にハーステンが "寂しい" と一言声をかけるのです。
ジョーの頭の中ではきっと断酒するという意思と、
一人きりで寂しいとつぶやく妻への愛との葛藤があり
思わず見ていて涙がでました。
その後更生会に飲酒がバレ、囚人のような全身拘束を受けたりして、
再び断酒に成功。
しかしハーステンは相変わらず酒を飲み続けていました。
この頃にジョーは娘と二人で暮らすようになっており、
ある夜にハーステンが訪ねてきて家族三人での生活を取り戻したいとジョーに言いますが、酒なしでというジョーの固い意志に、悲しげに出ていきます。
アパートの窓から目でハーステンを追うジョー。
ふらつく足取りでハーステンは去っていきました。
ここが映画のラストシーンで、
ジョーが窓からハーステンを追うシーンはみててつらいものがありました。
、、、以上
クリスマスに観るには重い、重すぎる映画でしたね、、、、、。
この映画は何を描きたかったのでしょうか。
個人的にはアルコールは社会性・人間性を崩壊させるおそろしいものだ、
というメッセージを一番強く受け取りました。
(直接は語られない描写がリアルすぎました、、、。)
しかしその一方で、映画の1/3くらいまで男女の話でしたし、
モーテルでのやりとりなどを見るに男女のすれ違いがメインテーマなのか?という
風にも思えます。
タイトルを改めてみてみると
"酒とバラの日々(Days of Wine and Roses)"
酒は散々出てきましたが、バラは出てきたっけ?となりました。
このバラとはハーステンのことなのかな?と思いました。
映画冒頭で有名な"酒とバラの日々"と映画製作に携わった人たちの名前が流れました。
たゆたうワインとそこに揺れるバラが映っています。
ワインはしっかりと見えるのですが、バラは半透明です。
これはつまり酒(ワイン)はすぐ手に入るが、バラ(人間)はそうでない
ということではないか?
というのも、
ジョーとハーステンは酒におぼれていった。
⇒酒を手に入れるのは簡単。
ジョーは最終的に断酒に成功したものの、バラ(ハーステン)を失った。
一方、ハーステンはやめられず、彼女にとってのバラ(ジョーと娘)を失った。
⇒酒はすぐ手に入るし、その気になれば断てるけど、
人間関係はそんな簡単なものではなく、
手に入りそうで入らない半透明で揺れるバラのようなものだ。
つまり酒と人間関係の対比が描きたかったということでしょうか。
いかがでしょうか、、、。
見当違いなことを考えている可能性も十二分にありますので
あくまで個人的な感想・考察ですね。
素直に酒は揺れるバラのように綺麗でつい手を出したくなる
というようにも考えられますし笑
以上今日はこんなところで終わります。
そういえば小学校の感想文みたいな記事のタイトルですね笑
#1 ブログはじめます
こんにちは。
本日からブログを開設し、日常のいろいろな体験を書き残していきたいと思います。
先日2022年になり、
今年の目標の一つに掲げたのが「アウトプットを増やす」ということでした。
何でもいいから自分が考えたこと、経験したことを言語化し、
ネット上にさらすことは記憶の定着にもよいし、達成感もある!と思いブログという形にしようと思いました。
ひいては頭の中で漠然と理解していることを調べながら書いたりして、
物事の理解を深くしたいなぁと思います。
簡単に自己紹介をすると、
東京都出身 26歳♂ 普段は地方国立大で大学院生をしております。
文字だらけでよくわからん記事が続くと推測されますがよろしくです。